平田牧場について いちばん丁寧なブランドになろう

平田牧場の歩み

すべては、たった2頭の豚からはじまった。

1953年、山形県庄内地方の旧平田町で、地元の青年たちが養豚業をはじめました。
その中のひとりが、平田牧場の創業者・新田嘉一。
新田の実家は代々米づくりをしてきた農家でした。
しかし、新田は農家を継がず、
周囲の反対を押し切り養豚業の世界へと飛び込んだのです。

「これから日本の暮らしが豊かになり、
腹いっぱいメシが食えるようになれば、
食の嗜好は炭水化物からタンパク質へ移るはずだ。
豚肉を食べる人は、これからもっと増える。」
新田は、そう考えました。
しかし、その想いとは裏腹に、豚肉の価格は数年後に大暴落。
当時、豚肉は価格が安定せず、周期的に大きな値動きがあったのです。
新田の小さな豚舎は、苦境に立たされることになってしまいました。

「自分が作ったものが、
なぜ自分のつけた値段で売れないのか。」
これをきっかけにして、
新田は当時としては画期的な産直提携を思いつきます。
飼育・加工・販売まで一貫した流通ルートを構築すれば、
安定した価格で安全な食をお客様に届けることができると考えたのです。
豚に愛情を注ぐ日々に加え、産直ルートの開拓という大仕事。
新田は、養豚に人生のすべてをかけたのです。

1960年代に入ると食生活の向上で肉類の消費が増加していきます。
平田牧場は、競争が激しくなる養豚業界でいち早く品種改良に着手。
美味しさに加え、安全・健康な豚肉にこだわり抜きました。
1974年から7年の歳月をかけた試行錯誤の末、
3つの純粋種の長所を掛け合わせた「平田牧場三元豚」が誕生。
その上質な肉質は、ブランド豚として
世間の高い評価を得ることとなったのです。

お客様の声から生まれた、前代未聞の「無添加ポークウインナー」。

40数年前、平田牧場へお客様からこんな声が届きました。
「健康な豚肉を原料にした、安心して食べられるハム・ソーセージが欲しい。」
それは、今で言う無添加食品のことでした。
当時から平田牧場の従業員には、食の安全に対する熱意がありました。
そこで、まずは開発コンセプトを決定。
それは「きちんと腐る食品を作ろう」というものでした。

肉本来の美味しさを徹底的に追求するため、
開発は健康的な豚を育てることからはじまりました。
さらに地元生協と提携し、新たに加工工場を設立。
ドイツからハム・ソーセージ作りのマイスターを招き、
その技術を徹底的に学びました。
加工には自社の純国産豚肉を使用し、塩や砂糖などあらゆる素材を厳選。
試行錯誤の末、1986年ついに肉本来の自然な美味しさが詰まった
無添加ポークウィンナーが誕生したのです。

しかし、そこには流通の壁がありました。
加工食品の流通に冷蔵車を使うのが一般的ではなかった時代。
保存がきかない無添加食品の流通は、不可能と言われていました。
そんな時、平田牧場の背中を押したのは、
安全な食を心から求めるお客様の熱意でした。

そして、平田牧場は生協との共同出資により、
冷蔵状態でお客様まで食品を届ける会社を設立。
作る側と食べる側の思いが詰まった無添加ポークウィンナーは、
こうしてお客様のもとへ届けられるようになったのです。

日本の農業を活性化し、高品質の豚肉を作る、「飼料用米プロジェクト」。

「飼料用米」というお米があります。
このお米を食べるのは、平田牧場の豚。
平田牧場は、地元山形県庄内地方の生産者・飼料組合・生協などと提携し、
「こめ育ち豚」を開発したのです。

お米を飼料に利用するこのプロジェクトは、
日本の低い食料自給力を向上させるモデルとして全国から注目を集めています。
飼料用米の生産は、日本の優れた米作りと農地を守ることにもつながり、
農家には米作りができるという喜びが広がっています。

減反田が有効活用されることで農家に活力が生まれ、生産者は年々増加。
今や庄内地方は、飼料用米生産の先進地になっています。
このプロジェクトにより、畜産農家は飼料を輸入に頼ることなく、
安全で質の良いエサが利用できるようになりました。
また、飼料用米を食べることで豚肉の食味は向上したのです。

飼料用米の取引価格は、食用米の5分の1。
生産者の利益は少ないため、国の補助金制度を活用しながら、
徹底した高収量・低コストでの生産が求められます。
今、平田牧場の豚肉は全豚がこめ育ち豚となっています。
日本の農業を活性化させ、高品質の豚肉を作る飼料用米プロジェクト。
食を育む挑戦は、これからも続いていきます。

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